2010年1月 6日
魯迅の言語観
魯迅の作品に見られる特徴のひとつとして、欧米語とりわけ英語の文法をなぞった、本来の中国語(白話)には無い語法がある。彼は中国語が文法的な精緻さにかけているという発想に取り付かれており、欧米語は文法が精緻なので思考も理性的なのだと考えていた。 そのため彼は本来中国語には無かった文法事項を、半ば人工的に欧米語をなぞって作り上げることになる。例を挙げると、魯迅は本来の白話では区別していなかった形容詞・副詞接辞deを、形容詞接辞の的と副詞接辞の地と書き分け、また三人称単数の代名詞taに、英語を模倣した男性形(他)、女性形(她)、中性形(它)の区別を取り入れ、書き分けた。このような魯迅の欧米語文法の優越性に対する信仰への弁護として、当時の欧米において中国語が最も原始的な文法体系の言語とされ、はなはだしくは文法の無い言語だとさえいわれたという時代的背景をあげるものもいる。
無論現代の言語学的立場からすれば、魯迅の思想は疑似科学的なものである。たとえば英語では区別しない形容詞的なfromと副詞的なfromを、日本語では"からの"と"から"というように区別する。朝鮮語でも同様に両者を、無生物の場合はbute'yiとbute、生物の場合は'eise'yiと'eiseというように区別する。しかし日本語や朝鮮語の話者が英語話者に比べて思考が理性的だとする科学的な根拠は何もない。又アラビア語には欧米語の殆どには無い双数形があるが、アラビア語の話者が欧米語の話者より思考が理性的で精緻だとする科学的根拠もない。
更にいえば、欧米語に比べて中国語(白話・北方官話)の文法が精緻ではないという魯迅の考え自体も一面的である。欧米語の一人称複数は、英語のweがそうであるように1種類しかないが、対して白話・北方官話では除外的な我們(women:話し相手を含まない私たち)と包括的な咱們(zanmen:話し相手を含む私たち)という2種類の一人称複数形を用いており、この点では北方官話は欧米語よりも精緻な文法体系を持っている。
中国の近代化改革を望んだ文学者である彼がその過程で不可避に欧米への崇拝・事大意識をもち、それを自身の言語観や文学作品に投影したことは中国の近代化のあり方をめぐる一つの研究対象とされている。
また彼は上にも示したとおり、文言文を廃止して、民衆語である白話で書くべきだとしていたが、一方で上のような民衆語からかけ離れ、漢字の上でしか分からない人工的な語法を導入したことは矛盾しているのではないかという声もある。実際に1920年代以降、より民衆語(白話)に近づけた文章を規範とすべきとする大衆化運動の擁護者により、魯迅は中国語の自然な形態(何を以て「自然」と呼ぶかは議論があるが)を犠牲にして、欧米語に追随した事大主義者として批判されるようになる。甚だしくは彼や彼に代表される欧化文体を、民衆語からかけ離れた新文言とする声さえあった。しかし最終的に欧化語法の少なからぬ部分が現代中国の普通話にも取り入れられることになり、魯迅は近代中国語の規範を作り上げた作家の一人とみなされるようになった。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
中国の小説家、翻訳家、思想家として大変有名な人物です。
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